誰でも幸せに生きたいと願っているはず。。。
でも、自分から不幸せを選んでいる場合も時にはあります。
それはどんな時かというと、自分が不幸せでいる事が誰かへの仕返しになっている時です。
自分が不幸せでいる事を自分自身が選んでいる。それも無意識に。
実は過去の私もずっとそうでした。
私は初めの結婚をした相手とどうしても、うまくやっていくことができませんでした。
それでも我慢して何年もやってきましたが、抑うつ状態になり、薬を服用しなければ生活できないほどになりました。悩みに悩んで離婚したいと母親に言った時に、頭ごなしに否定をされました。
それまでも、母親との関係は良好とはいえなかったけれど、精神的にかなりまいっていた時に「あんたは、独りでは生活できない。わがままだ。うまくいかなくても我慢すべきだ。あんたは自分が何でもできると思いなさんなよ!」と強く言われた時には、心が凍りついた気持ちになりました。
ぐさっと胸を突き刺された感覚になりました。
実家に帰れなかった私はそれから数年、そのまま結婚生活を続けることになったのです。
全ては子どものためと思って。仮面夫婦を続けました。
母親は私に我慢してでも結婚生活を修繕させろと願っている。
だからこそ自分から幸せになんかなるもんか。母親の思う通りになんかなるもんか、という強い恨みのような感情をずっと持ちながら生きてきたのです。絶対に幸せになんかなるもんか。
死にたい、死にたいっと思っていた私は、皮肉なことに、その怒りが何とか生きていく力にもなっていました。
ずっと、ずっと何年も。。。
今思い返せば、本当にしんどい日々でした。
もちろん夫との仲を修繕して幸せに生きていきたい気持ちもありました。現に楽しく会話できる日もあったのです。でも、心の中でストップがかかってしまうのです。
幸せになることを自分に禁じてしまうのです。
頭の片隅にはいつも母親の存在があって、その存在を消そうとすればするほど意識してしまう。
当時はそこから抜け出す事はできませんでした。
そういう選択をしてしまっているのは、母親ではなく自分自身だなんて気づきもしなかったからです。
誰かが自分を不幸せにさせたのではなく、自分から不幸せを選んでいる。。
幸せになるのを自分が禁じている。。
復讐の人生なんて、なんの得にもならない。。。
結婚生活という形をいくら修繕しようと思っても、その奥にある親との感情を見つめ直さない限り、うまくはいかないとわかりました。
私の場合は、結婚生活だったけれど、誰にも起こり得る心理だと思います。
それは、誰かに対しての「わかってほしかった」気持ちが作り出しているのかもしれません。
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