承認欲求の扱い方〜もっと生きやすく生きよう〜


以前の記事に、不快な事言ってくる私の母親は、自分から意図的に仕掛けてきてる、という内容の事を書いた。

こういう人は、巷にたくさんいる。

意図的に仕掛けてる人


クレーマー

マウントを取ってくる人

急に不機嫌になったり、急に大きな声を出す人

自分の事ばかり話す人

具合が悪い事を過度にアピールする人

話の最後に必ず嫌味を言う人

会議の最中に意味のない発言を言う人


あきらかに問題行動に見える場合もあるが、全くそう見えない場合もある。

そして、その共通点は本人は無意識にしているという事。

自分がそういう行動を取っているという自覚はない。

むしろ、自分は良い人と思っているかもしれない。


周りからしてみると、あきらかに問題行動とわかっても直接本人に指摘できないものである。

でも、周りはあきらかに気づいている。

知らないのは本人だけっというパターンはよくあることだ。

(指摘できたとしても、本人は無自覚なので、全力で否定してくるだけだ)


では、なぜこんな事をするのかというと、自分の行動や言動で相手が反応してくれるからだ。



承認欲求ってなに?


これは、承認欲求というもの。


「わかってほしい」

「自分を見てほしい」

言うなれば、寂しさの表れである。


子どもの頃に親に愛されたかった。

認めてほしかった、自分を気にかけてほしかった。

自分を大切に扱ってほしかった。

いつも見ていてほしかった。


そんな満たされなかった感情は、大人になるにつれてネガティブな考え方や思いの癖に残りやすい。それは、人生のターニングポイントになる場面で特に影響したりする。


私自身も母親に認めてほしかったという思いは強かった。


だから、人生がうまくいかないのは、そのせいだと以前はずっと思っていた。


完璧な母親なんていない


でも、自分が母親になってみて、100%子どもの欲求を満たせてあげられたかというと、そうではない。思い起こせば悔やむことの方が多い。


女性が子どもを産めば、母性愛が生まれて、愛情いっぱいに子どもを育てられるはず、というイメージはいつの時代も変わらない。


それはそうだが、人が人を育てるということは、もっと泥臭いものだと私は思っている。

綺麗事だけではいかないのだ。


喜怒哀楽という言葉があるように、人の感情とは喜びや楽しさだけではなく、怒りや哀しみもあって当たり前。それが人間なのだ。

体調が不調な時があるように、精神も不調な時がある。

女性は特に、月経という男性には理解できないような生殖器の影響を受けている。

毎月、上がったり下がったりを繰り返し、それは到底抗えない力に振り回されて生きているようなものである。いつも、笑顔で優しいなどは無理なのだ。


私が母親に感じた満たされない欲求は、私の子どもたちも同じ様に感じているだろう。



誰でも承認欲求をもっている


みな何かしらの満たされなかった感情を持って育つものだと思う。

いうなれば、その感情こそが、自分を成長させる糧となり、社会で生きていくスキルにも変わっていくのだ。

要は、扱い方が大事なのだ。


人は誰でも心の奥底に寂しさを抱えていて、人と繋がりたいという欲求を持っている。


でも、迷惑をかけたり、不快な想いをさせてしまっては本末転倒である。

自分の意思とは反して人は離れていってしまうだろう。


そうなる可能性は誰でも持っている。

無意識にしている行動なので、もしかしたら私も気づかずにしているのかもしれない。


では、そうならない様にする為には、自分もそんな欲求を持っているということを、まず自覚すること。



寂しくて人と繋がりたかったら、自分の遠回しな行動から気づいてくれるのを待つのではなく、どうしたら繋がれるだろうっと考えてみよう。

人は人と繋がる中で成長するものである。

自分の承認欲求を認めてあげることで、もっと生きやすく生きていこう。

























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