役割があることが人を救うとき

こんにちは〜

今日は「役割があることが人を救うとき」というお話をします


5月に体調も気持ちもすこし落ち込んだときがありました。


あれ?気がおきない! 気どこいった?


そう 感じた


どす〜んと 頭が重くなって 何をやるにもやる気がおきない


夜も不眠が続く 気持ちが落ち込む すごく しんどかった


そうなると 無理しないでおこう となるよね


身近な人がそういう状態になったら


「無理せず休んでね」と言うと思う


疲れたら 休む それは身体や心からのサインなんだけど


休んでると  むくむくと「焦り」というものが湧いてくる


この「焦り」って結構 辛いもので



やろうと始めていたことや 頑張っていたこと 続けていたことが


ストップする


できていた事が できない焦り


周りの人が普通にできてる事(普通にできてると見えてること)が自分だけできない焦り


それが 苦しかったな〜って 今は思う


だけど 日々できることをするしかなくて


最低限の仕事と家事だけをこなすことに専念した


この最低限のことが 結構自分を救ってくれたように思える

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何年か前に 息子が中1のとき 不登校になった


行きたくても 行けなくなったとき


行けないって言われた時には もう すでに 彼にとっては いっぱいいっぱいで


到底 無理に行ける状態ではなかった


当然 家で休ませた


でも、彼にとっては「あ〜〜〜やれやれ」ではなくて


むしろ なぜ自分が とか 友達が普通に行けること(そう見える)が自分だけできない


「焦り」との戦いになったように見えた


それは 見ているこちらも とっても辛くて


子どもって いわば学校だけが 自分の生活のだた一つの役割なわけで


それを 取られたら 何もすることがない 


膨大な一日の時間を前に


ただただ 本人も戸惑うだけ


(テレビやゲームになるよね)


この することがないっという時間が 余計に 自分を責める時間になったと思う


人は 何かしらの 役割を担っているけど


その役割が辛いひとも 当然いるけど


その役割が結構自分を保つ力になっていたりするときもある


それは 元気なときは 気づかなくて


いざ そこを離れたときに 気づいたりする


何もしなくていいことが 回復する道ではあるけれど


何もしなくていいことが かえって自分を苦しめることにもなる


「焦り」って「焦らないで〜」と言われたところで 焦らなくなるわけでもなくて


「気になる」ときに「気にしないで〜」って安易に言われても というのと同じで


メンタルダウンのときに ただ「休もう」ではなくて「どう休む?」や「休み方」って


大事なのかもしれない と思った































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